院長紹介 安井院長の奇跡の軌跡ー第六章|啓示に導かれて ― 東京出店の奇跡
人は何を信じて動くのか
私が信じるもの・大切にするもの
人類が誕生してから約30万年と言われています。
蒸気機関が誕生して250年
電気の実用化が始まったのが150年前
こう見ると30万年間のほとんどが文明的な道具が無い世界で人間は生きてきたことになります。
30万年という時間からすると僅か2000年前は日本では歴史で学ぶ弥生時代。
自然と共存していたこうした時代は、感覚だけが身を守る道具だったに違いありません。
危険な動物を察知するにしても、四季に順応するにしても、生活のほとんどは感覚を頼りに生きていたはずです。
現代の社会は感覚を頼らなくても生活が出来ますし、逆に感覚を頼ることよりもデータを用いて解析する方が正確だとする世界に私たちは置かれています。
そうした中で、私個人の話ですが、肌で感じるものや聴こえて来るものなどにたいして非常に敏感で、超感覚を優先して日々を送っています。
現代社会は物質社会と呼ばれていますように、「モノとカネ」が支配しているように感じます。
決して、人間は霊長類の頂点に君臨してなどおらず、「物(モノ)」「金(カネ)」が頂点に居るようにさえ思えて来るから不思議な世の中です。
まだ電気や電灯の無い昔、夜になると真っ暗になってしまう時代には「妖怪」「お化け」「狐」「狸」が人を迷わせる代表だったようですが、真っ暗闇で人の目に見えない怖さがいろいろな体験談や奇談を生み出した背景があるのでしょう。
そのような時代、人は遠い道を歩いて用事を足しに行き、旅をしていましたから、その往来する道の傍らには道祖神やお地蔵様などを立てて安全を祈願していたと聞きますし、私の住む本庄市にも多くの道祖神が残っています。
現代は、道祖神よりもナビが頼りになり、車載カメラが事故を未然に防いだり、ドライブレコーダーが身を守ったりしますけれど、もっと単純な時代には「見えない」ことの良さがあったのではないのかと思ってしまうのです。
「お化けだの幽霊だの、目に見えないものを信じる方がおかしいよ!」という人も居るかと思いますが、これは私の屁理屈かもしれませんが「人の心だって、気持ちだって、愛だって見えない」のだから、見えないものが信じられないなら恋人も家族も友達もどうやって信じるんだい?と質問したくなってしまうのです。
考えてみて下さい。
目に見えているものは「信じる」のではなくて「在る」のですよね?
- 宇宙人が存在することをあなたは信じますか?
- 将来はタイムマシンが発明されると信じますか?
- あなたが右手に持っている物は鉛筆だと信じますか?
- あなたの目の前に珈琲カップが置かれていますが信じますか?
これらの前の2つは自然な質問ですが、あとの2つは不自然ですよね?
そう考えると、本当の意味での信じること、信じる力は、見えないものに向けることだと私は思うのです。私が常日頃、幼いころから「湧き出る感覚や声のようなもの」に従っているのも、それが目に見えて疑いようのないものであった場合には、「信じて行動する」価値には繋がらず面白味のない人生だったかもしれません。
隣町まで歩きで用足しや買い物に出かけたり、歩きで遠くまで旅をしたりする道すがら、道路脇のお地蔵さんに手を合わせて感謝や祈願を奉納する…日本昔話のような心の世界を忘れたくないと思います。
中学生の時の体験
道を通行するという話の繋がりで思い出したことが有りますが、皆さんの中にも、誰もいない静かな場所で、または車を運転している時、何かに集中している時に、誰かに耳元で囁かれたような体験をしたことがある人がいるのではないでしょうか?
私が、中学生2年生の夏の体験です。
土曜日の昼下がり、真夏の暑い日差しの中を友達と一緒に下校する時でした。
真夏の畑に囲まれた道を友達を自転車の後ろに乗せて帰る途中、突然にすぐ近くから男の人の声で「オイ!」と声を掛けられたのです。
私は、自転車の二人乗りを注意されたのだと思ってすぐに自転車を止めました。けれど、真夏の日照りの中で畑で作業する人影もなく、当たりはシーンと静まり返っていて人っ子一人いません。
友達に「今、声が聞こえなかった?」と確認すると、友達も同じく「オイ!」と呼ぶ声を聞いたと言います。私は怖くなって、背筋に寒気を感じながら友達を自転車の後ろに乗せたまま慌ててその場を離れたのですが、この体験を含めて思い出す不思議な体験はいくつもありますね。
このお話の畑の中の道は、周囲の畑もほとんどなくなり、新しく広い道路や新幹線の高架橋も建設されて当時の面影は残っていませんけれども、その声はいまだに耳に残っています。
幼いころの記憶と魂
私は、幼いころのことを鮮明に覚えているだけでなく、高齢になった今でもちょくちょく思い出します。
それも、思い出そうとして思い出すのではなく、ふとした時に瞬間的に蘇って来るのです。
例えば、良く思い出すのはこのような思い出です。
私が小学校へ上がる前、当時住んでいた家の路地を挟んで反対側にアパートを建てていた時期に、私はこの建築現場が大好きでした。
それも、工事をしているのを見るのが好きなのではなく、また工事をしている様子は記憶になく、
「雨の日」に限っていました。
雨で作業が休みの時は、なんとなく薄暗い日中、まだ床も張っていない屋根と柱だけの現場に入り込んで、ジメっとした空気の壁は出来ていないのに、外の世界とは違う空間がそこには在って、土の上に置いている工事に使った木材の切れ端を拾って遊んだ記憶があります。
その時の雨の匂い、シトシトと周りに落ちる雨の音、木材の匂い、薄暗い屋根の下の、人気のない寂しい灰色の景色…
この心象風景は、何度思い出してもしみじみしますから、きっと私の魂の潤いになったのだろうと思いますが、この他にも、ビニル袋に入って売られていた、セルロイドで出来たレーシングカーのおもちゃ、映画館の怪獣映画のポスター、自転車屋さんの油入れ、などなど
あれもこれも、これもあれも、私の記憶のおもちゃ箱には、ガラクタであり宝物である記憶がたくさん色鮮やかにしまわれていまして、これはきっと、私が何歳になっても必要な道具として魂の中に保管されている物だろうと思っています。
さて、次は「私を導く声」が私を大きな舞台へと導く最初の一歩となった「声」についてお話します。
私の人生に大きな一歩となった「声」
その声は朝一番に降って来た
私が、自宅開業して数年が経過したときのことです。
当時はインターネットが普及してまだ10年は経過していなかった時期で、ホームページを手作りする人が多かった時代です。私も、試行錯誤でホームページを作っては更新してを繰り返し、寝ずの作業をしていたのを思い出します。
そんなある朝方のこと、普段通りに目を覚まして布団から起き上がろうとした時に、すぐ耳元で『東京へ出なさい』とハッキリと「声」が聞こえたのです。
勿論、「それは声ではなく、自分の意識の表れだ」とか様々なご意見もあると思います。
私も潜在意識の中で東京進出を願っていたとか、希望していたとかは否定は出来るものではありませんが、とにかく、「やっぱり!」とか「ヨシ!行くぞ」とか、そういう感覚では無かったのは確かです。
東京へ出るための資金的な準備も、設備的な準備も何も無い状態でしたので、その「声」が聴こえてからの自分の気持ちと実際の行動については記憶が薄れてしまって明確な状況をお伝え出来ませんが、私は、その言葉に誘われるようにマンション探しを始め、東京・神田にマンションを借りることにしました。
実際のマンション探しから契約まで何か月を要したか不明ですし、マンションの敷金・礼金、多少なりとも仕事に必要な用品類、生活する為の用品類を揃えるお金をどうしたのか、貯金があったような記憶もないのですし、人に借りたということもないので、多少の資金は準備が出来ていたのでしょう。
それにしても、資金が十分にあるわけでもなく、市場調査をする訳でもなく、声が聴こえてきたからと言うだけで簡単に行動に移せる内容では無いと後からは思うのですが、私の場合は、こうした状況に置かれると普段には無いエネルギーが生まれて、何も無い状態から何かを生み出す、「無から有」のパワーがどこからともなく湧いて来るのも、やはり不思議です。
呼び寄せられた奇跡
飛び込んできた雑誌取材
さて、マンションも契約して、入居日も決めた段階でホームページ上に「東京・神田に出店!」と掲載しました。
すると、どうでしょうか?このようなことが本当に起こるものなのかと我ながら感心してしまうのですけれど、これこそが人間の考えた行動や立てた計画ではない天の采配だと思うのですが、名も無い田舎に住む一人の整体師が、手作りのSEO対策も何もしていないホームページに掲載した僅かに1行程度の「東京出店」の文字に、某雑誌社から取材のオファーの電話が舞い込みました。
そうして、気付いた時には「骨盤矯正のベスト10店!」という記事の中に掲載されることになっていました。
その雑誌のお陰で、全国各地といっても良い各所から、多くのお客様のご来店を頂くこととなり、「骨盤矯正のベスト10店!」として掲載されたことで骨盤矯正を希望されて来られたお客様が、整体を受けられ、小顔矯正を受けられ、エステを受けられと、レミスティックの得意とするジャンルの施術を受けて頂いたことによって、お店の収益も日に日に増していくことが出来たのです。
東京・神田から日本橋・茅場町へ
雑誌の取材と掲載のお陰で、たくさんのお客様にレミスティックが認知され、ご来店のお客様も増えたことによって、レミスティックにも力が付いたことで、小さな、小さな間取りの1Kのマンションでスタートした神田から、広い場所へ移ることとしました。
移転先は東京駅からも徒歩で移動可能で、比較的静かな場所ということから日本橋茅場町を選び、駅から徒歩1分の2LDKのマンションへ移転することが出来ました。
更にはその後、名古屋店まで出すに至るのですが、今から思えば、初心を忘れて調子に乗っていた自分の鼻を折るような問題が、同じく奇跡のように降って湧いたのでした。
有頂天から奈落の底へ
或る日、それは突然にやって来ました。
詳細を伝えるにはブログ記事としては脇道に逸れ過ぎてしまいますので、ここでは、「或る個人的な問題が生じて」とだけに留まらせて頂きますが、何万人かに一人が経験するかしないかという、人生の深部を揺るがす事態に遭遇する事態が起きてしまいました。
この一件は、私の人生に大きな鉄槌のように振り下ろされ、私は精神的に深い痛手を負ってしまってしばらくの間、仕事を続けることが出来なくなってしまいます。
この時の教訓ですが、「何事も調子になることなく、常に地道に生きる」ことが人間大切です。
七転び八起きの人生
「私の人生は自分自身の人生のような気がしない」
私ほど、こうした想いを日常に感じて、起伏の激しい人生を送る人は居るでしょうか?打ち上げ花火のような幸運が舞い込んだと思うと、一瞬で消えて闇の中に置かれ。闇の中で再起不能になったかと思いきや、再び花火のような幸運が舞い込む。
私としては、花火のような幸運が舞い込まなくても、人並みの平穏な日々と家庭を心から望んでいるのですが、希望通りには運ばないものです。
天上に神様が居て私を見ているのだとしたら、波風の立たない人生では魂に傷が付かないまま成長しない、ずっと苦しいばかりの人生では痛みに対して鈍感になり、順風満帆で成功に酔いしれているだけでは馬鹿になる。
“お前は特別に温泉で温めては、冷水で冷やすような、緩急をつけた人生にして心も魂も鍛えてやろう”と考えるているのかも知れないですね。

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