院長紹介_第十一章|従って生きる ― 抱えきれない焦りと不安の日々

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奇跡の大逆転は起きないまま

十章では、私の恩人であるクリスチャンの老女Mさんの強い希望で、私がMさんの身元引受人となって私の地元の老人介護施設に入所のお世話をするまでの流れをお伝えしました。

私はMさんを私の地元に連れて帰るに際して、自然が大好きで、自然の中に神様のご臨在を感じるMさんには、最低でも週に2回は施設から外出させ、外気浴を兼ねて接点を持とうと計画していた通りに、外出許可をもらっては花や山や空を眺めて貰う時間、私との会話の時間を設けながら、あっという間に2年の月日は流れてしまいました。

その間、施設内でもコロナ感染者が出てしまったり、インフルエンザ感染者が出てしまったりして希望通りに外出が出来ない日も続くなどして過ぎ越しているうちに、霊的なMさんも肉体や認知機能が徐々に弱って来るのが見えるようになりました。

また私の整体業も、地元開業の地でスタートしたものの東京へ出て20年も経過していれば、よそ者が一からスタートするのと同じですし、コロナの影響も残る中で、思うように集客が進むはずもなく、本業の整体業の経営に精力を注がなければならない時間をMさんのお世話に使っていては尚更のことでした。

それでもまだ私の心の中には、(これまでも何度挫折しても奇跡の大逆転の機会があって東京に戻れたのだし、東京を出た時もそうであったように、東京を出る時も、地元に戻ってからも、ずっと私を導く声に従って来たのだから、次のステップのお膳は必ず用意されているはずだ)という望みが消えませんでした。

然し、その期待も虚しく、収入にも事欠くようになり、レミスティックも廃業の時を迎えます。

私はこれまでの奇跡の連続を振り返りながらも、今回ばかりは自分にだけ聴こえて来る声、自分の脳裏にだけ届く声を信じたのが間違ったのではないか?
実は自分は精神病だからそのような声を聞いたように信じて行動してしまうのではないか?
そのように落ち込む時もありました。

然し、何度も「声」に救われ、「声」の通りに物事が運び、結果は良い方向に行った事実の方が、疑う気持ちを打ち負かして勝利するのでした。

牧師に教えられた聖書の言葉

レミスティックを開業したままで、或いはレミスティックが忙しくなってしまっていたならば、Mさんのお世話が出来ない状態になってしまうのですから、レミスティックを廃業してまでも、Mさんのお世話は天から見ると優先だったのでしょう。

然しながら私は生身(なまみ)の人間です。
債務を抱えながら返済もままならず、整体技術を生かすチャンスも訪れないままでいることに、とてもストレスを感じていて、この気持ちを誰かに聞いてもらってアドバイスが欲しくて仕方ありませんでした。

「誰か」とは、誰でも良いわけではなく、Mさんが私に「あなたは大丈夫」と助言(第八章参照https://remys-bigan.com/?p=5785&preview=true)して下さった時のように、聖書を元にして霊的な助言を望んでいました。

私は、Mさんの知り合いで時折、Mさんの住所となっている私の家に手紙を送って下さる方が牧師さんの娘さんだと聞いていたので、どなたか牧師さんを紹介して頂けないか頼んでみました。

その方は快く私の希望を引き受けて下さり、通っている教会の牧師さんの許可を取って連絡先を教えて下さいましたので、遠慮なく私の方から牧師さんへ連絡を取って教会に尋ねてみることにしました。

お会いした牧師さんは私とあまり年齢の変わらない方でしたが、私の置かれている状況について耳を傾けて下さってから、かつて私がMさんの前で相談したことに対してMさんが仰った言葉と同じように「私は、自分の気持ちでなく、聖書を通してお話します」と言われて、旧約聖書の「コヘレトの言葉-第三章」を読んで下さいました。

略して要約しますと、「すべての事柄には”時”があり、神様のなさることはその”時”にかなって美しい」と書かれています。

ここで”神様のなさることはその”時”にかなって美しい”とあります。
人が良いと感じることも悪いと感じることも、すべての事柄は”時”というものがあって、”美しい”という表現ですが、聖書の場合、日本語翻訳されています関係で「美しい」の表現が原文に忠実なのか、原文の意図や正しい解釈の元で翻訳されているのか微妙です。

例えば、今、最愛の子どもや親を不慮の事故で亡くしてしまった!と悲痛な気持ちに向けて、”神様のなさることはその”時”にかなって美しい”では納得が行かないのでは?と私は思います。

そこで”美しい”を“尊い”と置き換えると、「神様のなさることはその”時”にかなって尊い」と読むことが出来、例え交通事故によって命を奪われたにしても、神様のなさったことなのだから尊厳をもって受け取りなさい、と解釈が出来ると思います。

私の状況に置き換えますと、東京で成功していた時も、今の状態も、時の流れの中に在って、また、置かれた時の中に在って、神様の想いに適っているのだから尊厳をもって受け取りなさい…

このように言われているように感じました。

その時その時の状況に一喜一憂することなく、自分自身の希望は祈りつつ、目の前のことに精一杯取り組む中で、神様の想いと自分の想いが一つになるところに最善が起こってくる。

私はどうしようもない気持ちの中、牧師様にお会いする流れが出来たことや、この聖書の個所を教えて頂けたことに感謝でなりません。
こうして出会いも神様がご用意して下さった「尊い時」なのだと思います。

感謝する気持ちが自分を救う

私はこれまでの人生は、二転三転、七転び八起き、波乱万丈、七転八倒で、

右に行きたいと思っても、いつの間にか左へ動かされて思うような人生にならず-

左へ突き進もうと思っていても、今度は右へ動かされてしまい自由にならない-

小学生時期の転校以来、ずっと人生が思う様にならないままここまで来てしまいました。
しかし、いろいろな困難を乗り越えて「大丈夫だった人生」という考え方もできます。

私は、気持ちの浮き沈みの繰り返しのままに時間だけが過ぎて行く中で、少しずつ客観的に自分を見つめようとする気持ちも生まれて、東京を出てからの経過を一つずつ検証してみようと思いました。

先ずは、これまでに沢山の場面で、沢山のメッセージに従って来て、結果が出なかったことはなく、結果が出ないのは今回(=現在)だけに限っている点。

”7年後には東京を出なさい”というメッセージで新型コロナウイルスが発生し、東京を出た後に、Ⅿさんを助ける事に繋がり、命も救うことも出来ている点。

東京を出た後、勢いと自分の想いや自分の考え、自分の計画で進めた中で、融資が受けられ、十分なスペースの奇麗な店舗を息子と一緒に完成させられたとういう点。

ただ、それよりも仕事がうまく軌道に乗らないことを始めとして、自分自身が重荷に感じることが多いことへの不満が先行してしまって、感謝の気持ちの一つも持てていない点。

これまでの奇跡が起きた状態との違いは、奇跡が起きることに慣れてしまった自分が、奇跡を待ち望むだけで必要な努力を怠り、感謝も忘れてしまっていながら、不満ばかりを抱えている姿も見えてきました。

奇跡を呼ぶためには、その時々に感謝することが大切であって、最大限の努力を諦めずに重ねることが必要だったことを思い起こしたことで、世の中が急に明るくなった感じがして、まだ全てが終わったわけではないと思えるようになったのでした。

どんな仕事にも活路を見つけて

気持ちを切り替えて、とにかく何でも仕事をしようと思った私は、Ⅿさのお世話をすることを最優先事項にして仕事をすることにして、職種を選ばないことにして、職業安定所へも足を運び、他の人が紹介してくれる仕事は何でもやることにしました。

・便利屋さんの手伝い
・農家の手伝い
・施設清掃の清掃夫

など、お金になることは何でもやりました。

過去に関係した人との関係も再構築する中で、古物商の資格も取得しました。

これまでは、自分の技術を磨き価値を持たせ、価値を持たせては更に磨きをかけることによって自分の地位や存在感を高める努力をして来たのですが、他の仕事の現場ではそのような過去もステータスもまったく意味がありません。

最初のうちは、時給10万円を稼げる技術があっても、時給1,000円で仕事をしなければならないギャップに情けない気持ちで一杯にでしたけれども、どの仕事でも手を抜かずに取り組んでいるうちに、自然とその仕事場の中で存在感が生まれてきて当てにされるようになります。

親しくなった人から人生相談のようなことを受けることや、重度の病気を持った人から施術を頼まれる機会も生まれるなど、オールラウンダーであり、マルチタスクな自分を育てる土壌がその場に生まれてくることも経験しました。

同時に、これまでのお客様が私に投じて下さった高額な施術費用が大変な苦労の中で捻出されていたことも肌身に感じて、それも大きな感謝をもう一度受け取れる自分になることも出来たのでした。

これまでは、挫折から再起までの期間が長くても1年程度だったのに対して、5年、6年と本業が再起動しない、時間に対する焦りや苛立ちを感じていましたが、逆にこの時間を必要とする自分自身の再起、再生の為の、様々な過程があることに気付きます。

和歌山へ行った時のこと

私が経験した、多岐にわたる仕事の一つに、伝統工芸品の日本刀関連の仕事もあります。

実は、私は高校を卒業してすぐに、日本刀を作る刀鍛冶に憧れてその世界に入ったことがありました。結果は言わずともですが、精神的に未成熟で手先の不器用な私がおいそれとなれる職業であるはずもなく、途中で断念してしまいましたが、ここでもまた、沢山の人の出会い、薫陶(くんとう)を受ける機会がありました。

そうした仕事の関連で、現在も日本刀を作る刀鍛冶で和歌山県に住む方のご縁を頼りに、2025年6月に和歌山県へ出掛けることになった時のお話です。

計画は前月の5月から立てはじめて、予想では6月末には梅雨も明けて、晴れの日も多くなるだろうという見込んで、初日に先方を訪問させて頂いた後は、海を眺める時間やパワースポットに立ち寄る時間も含めて6月24日から3泊4日で日程を組み、列車のチケットやホテルの予約手配も順次済ませて準備万端です。

ところが、予定していた日が近づくにつれて梅雨前線の活動が活発になる可能性も出来てきて、予想が外れてしまいましたが、列車、ホテル、レンタカーまで予約してあるので、簡単には予定変更することも出来ない状況で、(せっかくだけれど雨でも仕方ない)という思いで当日を迎えました。

本庄早稲田駅を出発し、東京駅で東海道新幹線に乗り換えて大阪へ向かう途中、携帯電話を開いて和歌山への鉄道の乗り換えを確認していたところ、困った情報が目に飛び込んできました。

昨晩からの大雨で「きのくに線」の一部で線路の土砂が流れてしまい、運休。
しかも再開の見通しが立たないというのです。

今回は、なかなかの長距離の旅でもあり、時間を空けてもらっている先方の手前もあって、列車やホテルなどの予約のキャンセルは出来ても、大阪までの旅費や時間を含めて出直すのは簡単なことでは無いので、新幹線の中で、何度も何度も情報を確認しますが、「終日運休の見通し」と絶望的な表示に変化はありません。

のんびり新幹線の座席に座って車窓を眺めているハズが、座席から腰が浮いてしまいそうに焦りながら、スマホの画面に釘付けになっていました。

取り敢えず先方に状況だけはメールさせて頂き、乗換駅の大阪までは行くしかないという状況の中で、頭の隅で「大丈夫だよ」と聞こえてきます。状況的には、大丈夫だと思える要素は何一つ無いのに、それでも思い浮かぶ言葉は「大丈夫」だけでした。

大阪駅に着いた私は、みどりの窓口へ向かいますが、窓口には既に列が出来ていて混雑状態で、受付番号表を取って、ソワソワする気持ちをなだめながら暫く待たされました。

やがて順番が来て、窓口で和歌山行きの連絡状況を駅員さんに聞いても、「現時点では、復旧するのか明日まで動かないのか情報が何も有りません」という回答でした。

「出来ることといえば、手持ちの切符を直近の時刻の切符に交換して、その時間になって動かなければ、また再発行という方法を繰り返して頂くしかありません」「それでも、最終的に動かない可能性もあります」という絶望的な説明でした。

私は、(ここで引き返すか、列車が動かない場合は大阪でホテルを探すか…)、そのような流れも頭に浮かんで来ましたが、終日運休が確定していない以上は、直近の列車時間の切符を出してもらうことにしました。

私の切符交換の要望を聞いた駅員さんは、手続きのために事務所に入ってしまい、また暫く待たされてしまいました。

大丈夫だと言ったら大丈夫

やきもきしながら待たされていたところへ、やっと事務所から出てきた駅員さんは、とても急いだ様子で私に告げました。

「電車、動きます!」

新しい切符を私に手渡しながら、告げてくれた発車時刻は、ほとんど定刻に近い列車でした。

私は、胸を撫で下ろして安堵の気持ちに満たされ和歌山へ向かうことが出来ました。

これまでにも、何か心配事がある時に「大丈夫」と聞こえてくることがあり、その都度、大丈夫ではなかった事は在りませんでしたけれど、今回は、線路の砂利が流出したという話だったので、さすがに今回は焦るばかりでしたが、結果は、やはり「大丈夫」でした。

和歌山の目的地の紀伊田辺駅で下車をしてレンタカーを借りる段階では、心配していた雨も止んでいて、そこから先方のお宅のある龍神村までの山間部で強い雨が降っていた以外は雨に降られて困ることもなく初日の用事を済ませることが出来ました。

結果的には、和歌山に滞在中はとても良い天気で快適に過ごすことが出来ました。

人生には、どうしても自分の思い通りにならないことがあります。
けれど、そんな時ほど「大丈夫」という感覚を信じてみる価値があるのかもしれません。

 

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