院長紹介 奇跡の軌跡ー第四章|霊能者との出会い ― 運命の女神は微笑む

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霊能者との出会い

船出はしてみたものの

2か月で独立し自宅で整体院を開業した私ですが、2か月では習得が出来ず習得しておけば良かったと後悔した技術がありました。
「骨盤矯正」などの矯正技術です。
矯正技術を覚える時間の余裕がなかったということもありますが、当初は骨盤矯正などは必要ないだろう―くらいに甘く考えていました。

然し、実際にはお客様のニーズもありますし、矯正技術を持っていないことは、いざという時に重要な武器を持っていないことと同じです。
技術を持ち合わせていたないということは、同時にその武器を使うケースやタイミング、アレンジなどの知識の幅も持ち合わせていないということに繋がります。

自分に不足しているものがあるという点に気付きながらも、日々の生活に追われて月日が流れて行きました。

骨盤矯正の技術はともかく、一般の整体師としての技術についてはフリーで施術している整体師をを対象にした全国的なコンテストや審査があるわけではないので、自分自身が他の整体師と比べて技術力が高いか、低いかの比較はお客様の情報を頼りにする以外に有りません。

当時、駆け出しの私のお店にご来店されたお客様が多かったことと、そのお客様の声を頼りにしますと、他のお店とのやり方が全然違って施術の力が強くない、清潔感がある、効果が持続するという点では星が少しは多かったのではないかと思います。

それでも仕事に対する熱量を考えると、もっともっと努力する必要も有ったと思いますし、どこかに甘えがあったことは否定できないですね。もしかしたら、それは後からだから感じることであって、その時はそれで精一杯だったのかも知れません。

もしも、この記事を30代、40代の方が読んで下さっているようであれば、20代の時よりも時間を大切にしてその時に出来ることを、何でも良いですから100%ではなく、200%、300%の目標を立てて取り組んでおくことを勧めします。

何も仕事のことばかりではなく、特に小さいお子様がいらっしゃれば子育てや、お子様との時間を過ごすことを大切にしてもらいたいですね。
お子様がいらっしゃらない場合は、趣味でも、何かの挑戦でも、「これをやるぞ!」という絶対的な確信を持てないものであっても、自分の気持ちが少しでも動くことであれば取り組むことをお勧めします。

30代、40代から20年を経過して来ると、その時の過ごし方によって結果が見えて来ますし、結果が見えてからやり直すことは不可能になってしまいます。どうぞ、時間を大切にして下さい。

キレイで清潔な整体院の正体?

開業してからどれぐらい経過した時でしょうか。
当時、50代くらいの女性だったと思いますが、初めてご来店された方でした。

受付を済ませてからだったのか、施術が終わってお話をしている時だったのか定かでありませんが、自宅リビングを施術室として急ごしらえで作った部屋を見て「奇麗なお部屋ですね」と言って下さいました。

まだ新築から数年の自宅でしたから「まだ建てたばかりですから」と私が告げると、その女性は「そうではなく、こういう不特定多数の人が出入りする場所は『低級霊』で汚れるのですけれど」と話されました。

私は、「それでしたら、そういう『霊』は、私が食べてしまうのです。食べて天に上げてしまいますから」と答えると、「そんなことが出来るのですか?!」と驚かれていました。

これは私の冗談ではなく、こうした「除霊技術」も過去に教えてもらって身に着けた技術の一つだったのです。
お客様が入って来られた時や施術中、または帰られた後に、不浄な感覚と私が感じた時には、大きく息を吸い込むようにしてその場の空気を吸い込んで浄化します。

霊的なお話に興味のある人は、「吸い込んだら自分が汚(けが)れるのでは?」と心配されますが、例えれば私は掃除機ではなくて換気扇で、不浄なものは吸い込んで天の浄化槽へ送り出す役目ですから、私自身に悪影響が有るわけではないのです。

こうした除霊技術のお話は、関心のない読者の方や非科学的なことに関して懐疑的な読者の方には内容が適さないとは思いますが、私が幼少期に過ごした環境が私自身に大きな影響を与えているのと同じで、私から霊的な体験談をそっくり削除してしまうと、私の人生の半分を語らないのと同じになってしまいますので少しだけお付き合いをお願いしたいと思います。

私は、人生の節目節目、つまり10代、20代、30代、40代と必ず霊的に強い人との出会いがありまして、そうした出会った人との関係はまた私の深層部分に関わる深い関係に発展もするので、余計に私の人生を語るうえで避けられない体験談が「霊的体験談」なのです。

ですから本当は、「院長紹介」として私の整体師としての二十数年のお話だけでなく、小学生、中学生、高校生、それ以降の整体師になるまでの40年間ほどを記事にすると、もっと私が浮き彫りになって来ますし、波乱万丈、破天荒、無鉄砲でありながら、霊的な人たちに可愛がられ、育てられ、色彩豊かになって行く私の人生を知ってもらえると思いますので、時期を見て「院長紹介番外編」として別のブログにてご紹介したいと思います。

母を求めて新潟へ

先のお客様の話に戻ります。

私にはそうした除霊の能力があるものの、「実は下の息子が新しいお母さんを欲しがってしょうがないのですよ」と話の流れの中で、そのお客様に相談するというのでもなく世間話としてお話ししたのですが、「それならば新潟に信頼できる霊能者の方が居るから紹介しましょう」と、連絡を取って頂けることになりました。

ここでまた話の腰を折りますが、私の経験から、何かの相談事や悩み事が有った時に、こちらから誰かに相談を求めて動いたり、紹介を求めたりするよりも、仕事などの関係で自然発生的に生まれたご縁の中で、湧き水のように湧いた話の流れの方が、結果が確かな気がしますね。

今回も、このように思いもかけないご縁からお話が湧いて出て、新潟の例の者のお宅へ伺う流れが出来まして、子どもに雪国を見せに行きたいという気持ちや、母親が居なくなった寂しさを紛らわせたいという気持ちもあり、霊能者の方を訪ね、雪の降り積もる新潟へ行くことになりました。

季節は冬。
2月の関越自動車道のトンネルを超えた新潟側は、高速道路上にも雪が積もっていて、走行車線も雪の無い時よりもだいぶ狭い感じがしましたし、降る雪で視界も良くない中を何とか新潟市まで辿り着きましたが、新潟市内もまた、雪交じりの身を切るような冷たさの風が吹いていたのを覚えています。

やっとの思いで女性霊能者のご自宅に着いた私を、快く出迎えてくれたご本人は60代ぐらいでしたでしょうか。さっそく本題をお伝えして霊視して頂いた結果は予想外のものでした。

その女性霊能者は「大丈夫ですよ。『5月にはニコニコした笑顔の素敵な女性が現れる』と出ています」と、自信をもって仰るのです。

ところが私自身、元々が交友関係を広く持つタイプではないものですから、2月のその時点で女性との交際も無く、出会いの機会がまったく無かった私には、到底信じがたい回答でした。

霊能者のお宅を後にして、霊能者に相談した結果に希望を抱くような、半信半疑のような、一緒に連れて行った子どもには、どのように伝えたのか、どのようは会話をしながら自宅まで戻ったのかは今となっては記憶にありませんが、とにかく、2月から5月までの期間が短すぎるので実感が沸かなかった事だけは確かだったですね。

人生劇場の幕がまたひとつ

ファミレスランチ

霊能者の先生に相談するために新潟へ行ってから3か月。
季節も冬から移り変わり、いよいよ霊視で指摘された5月に入る頃、私の整体院のお客様に、営業職を仕事にされている私よりも少し年上の女性の方が常連になって下さっていました。

営業をされるくらいですから、会話もスムーズで楽しかったので自然と親しくなっていたので、近くのファミレスに何度かランチを食べに行くようになっていました。

私は、お酒が飲めないので居酒屋よりもファミレス派でもあって、お客様とそのファミレスを利用する機会が増えたことで、考え事をしたい時などは私一人でもそのお店を利用するようになりました。

通う回数が増えるに従い、そのファミレスでウエイトレスとして働く数名の女性とも気安く会話もするようになった或る日、精算のためにレジに並んだ際にレジを打つ女性から「何のお仕事をされているのですか」と聞かれました。

私が近くの自宅で整体をしていると告げると、「整体を受けに行かせて欲しい」という話になりました。そのファミレスの中でもひと際、ニコニコ、ニコニコ、笑顔を絶やさない長身で奇麗な彼女は、既婚者ながらも男性のファンが多かったようでした。

私はその笑顔を見て、(あの霊能者が言っていたのはこういう笑顔のことなのかなぁ)と霊能者の言葉を思い出しながら名刺を渡したのでした。

運命の女神が微笑む

名刺を渡してから暫く日数が経過してから、そのファミレスの彼女が整体を受けてに来てくれましたが、私の出会いのお話に限って言えば、彼女は既婚者でしたから、いくらニコニコ顔の女性であっても霊能者がアドバイスしてくれた候補からは外れたと思ったものでした。

そうは言いながらも、顔が小さく、長身で脚も長い感じを例えると手塚治虫作品のリボンの騎士「サファイア」に似た女性で、笑顔がことのほか素敵だったものですから、ファミレスの男性客がファンになるのも頷けましたし、同様に私も惹かれたものでした。

そうこうする中で、私はファミレスに通う、彼女も整体に通ってくれるという行き来をするうちに、会話の波長も合う中で彼女の身の上話になって行ったのは極々、自然の流れでした。

私の自宅兼整体院へ通ってきていた例の彼女もまた、結婚生活に疲れてキッチンドランカーになっていることなどを私に明すなどして、次第に二人の距離は縮まって行き、やがて新潟の霊能者の先生の霊視が的中する運びとなって行きます。

どこへ向かうのかわからない人生

目まぐるしい人生のスタート

私の人生はとにかく目まぐるしい。
一時として、穏やかに休まっている時間がありません。
次から次にいろいろな事が起こってきます。

紆余曲折だらけですが、とにもかくにもファミレスの美人ウエイトレスと私は一緒になるわけですが、私の勝手な性格は、どうしたものでしょう?

無責任な性格が目覚めてしまった私は、学び損ねた骨盤矯正の技術を学びたくなり、家のことを彼女に預けて、再び東京の「K」整体院を訪ねることを思いついてしまいます。

然し、安住の地を求めて私と一緒になった彼女がOKするはずもありません。
また、今の私であれば、家庭を第一義に考えて行動をしたに違いありませんが、その時の私はまだまだ暴走機関車状態だったものですから、どうしても「K」整体院へ行くことしか考えられなかったのです。

もっとも、この時に骨盤矯正を習いに行っていなければ、私の審美小顔矯正は誕生していなかったのですから、結果は良かったとか悪かったとかの二択ではなくて、全体的に見た場合の流れとしてはそういう流れだったのだと思います。

成ってくるものは

誰にでも人生の上において分岐路が生まれるでしょう。
右に行くべきか、左に行くべきか。
どちらを選んでも良いような悪いような…

その様な時に私は、取り敢えず直感的に片方を選んでみます。
選んだ方を進めようとした時にスムーズに進行するかしないか、スムーズに進行する場合にはそれは選択が間違っていない、スムーズに進行しない場合はその選択が間違っている。
そのように解釈します。

このように「成立して行く=成って来る」のは天の動きであって、天の法則に則っているという解釈も出来るのです。

仕事においても、私生活において、何かの計画や契約でスムーズに進まない場合には立ち止まって中止するくらいの余裕があると間違いないですね。
恋愛や結婚でも同じではないでしょうか?
無理を通せば道理が引っ込むの言葉がありますが、無理は通さない方が無難です。

さて、私が「K」整体院の「K」院長を訪ねた時に、「K」院長は「日本橋に、整体院の日本橋店を出すから院長にならないか」と私に勧めました。
私は、タイミングの良さに喜び、自宅に帰って彼女にそのことを告げました。
すると彼女は喜ぶどころか猛反対。それからは、彼女が泣いては喧嘩する日が繰り返しました。

本来であれば、こういう場合は無理に押し通してはいけませんね。
無理に押し通さなくても、本当に必要な事であれば、無理なく、必要な形で、必要なものが訪れるものです。

これを逃したらチャンスは無い!と思い込むことは一番危険なことです。
なのですが、その時の私は、とうとう彼女を説得して東京へ出ることになります。

この時に、無理に行かなければもっと良い形で、私は審美小顔矯正を実現していただろうと、今ではそう思えますが、その当時は、骨盤矯正を覚えたいことと、より良い収入を求めて東京へ行きたくて、自分だけが良い思いをしに東京へ行くという気持ちは無く、家族のために戦地へ赴くような考えが頭を占めていました。

線路は続くよどこまでも

「K整体院」の院長「K」氏について少し触れましょう。

「K」氏は、もともとは別世界の人で、背中や腕一面に刺青を入れた破天荒な人物でした。
常識とかデリカシーとかは持ち合わせておらず、非常に短気な性格でしたから、整体院の中にお客様が残っていても、自分がお酒を飲みたく成ればスタッフ(というよりは弟子という扱いでしたが)を集めて酒盛りを始めたり、お客様を酒盛りに招き入れたり。
自分のスタッフに対しても気分で対応を変えるなどの理不尽な面も多い人で、人望を集めるような人柄ではありませんでしたが、整体の技術と経営の技術は確かなものがあったのも事実です。

そんな「K」院長の性格ですから、日本橋店を任せると言った私に対しての約束も守られることは無く、私がその気になって日本橋店に荷物を運んで準備していたにもかかわらず、私には何の相談もなく他のスタッフに日本橋店を任せてしまい、私は本院に置かれることとなります。

何か月かの後には、私は本院の副院長に据えられる事になったことを振り返ってみると、私の技術力や真面目さを見込んだ「K」院長は、私を手元に置いておきたかったのではないかと思うのですが、その時は、騙されたように感じて不信感も抱きました。

私が副院長になってからのことですので、東京に行きだして4か月ぐらい経過した時のことだったと思います。或る日、門下生と生徒を前に「K」院長がこの様な話をしました。
「俺はな、開業した当時はお客なんか来なくて、ずっとここで寝泊まりしてたんだ。そうしたらな、壁から滲み出てくるものがあって、それが力になって今があるんだ。皆さんとは違うんだよ」

その話を聞いた私は、根が素直ですからすぐにその話を信じてしまい、自分もそういう力を手に入れたいと思いました。何でも、自分で確かめないと気が済まない性格でもありますから、この言葉が私を動かさないはずがありません。

一緒に暮らし始めたばかりの彼女の気持ちなど考えずに「私もここで寝泊まりしていいですか?」と「K」院長に切り出していました。

こうして振り返ると、出会って間もない女性に自宅を任せて、自分は東京の整体院に泊まり込みを決めてしまうところも非常識ですが、「天才」と呼ばれる裏側で私の頭のネジが数本抜け落ちているからこその行動なのでしょうか?

ただ、この行動が結果的には成功のカギとなって行くのです。

福富院長の誕生

高い仕事に安っぽい名前

「K」院長の理不尽さはどこにでも現れましたが、私の苗字が「安井」であることが気に入らず、俺は高い施術をして、高い施術料金を取るのに、安井=安いという名前を呼びたくないから名前を変えろよ!

と、言われました。

今では十分なパワハラですし、その人の存在や大事な姓を否定とも侮辱とも取れるような発言は、許されないことですし、辞めてしまっても仕方ないような発言なのですが、ちょっと前の時代のことでもあり「K」院長の発言なので、反感を抱くよりも「それもそうかな」という受け入れてしまう感覚の方が先でした。

私は、それであれば金運の良さそうな「福」「富」を合わせて「福富」と改名しました。
もっとも、「K」整体院だけでの改名でしたが、「K」院長の性格からも潔い改名が気に入ったみたいで、それ以降「福富、福富」と良く呼ばれました。

バケツを風呂にしての日々

私は、思い立ったら一直線で、すぐにバケツを一つ購入しました。

バケツを買ってどうする?
バケツに「福富の風呂」と書いて、自分の風呂にて銭湯へも行かずにそのバケツで体を拭いての泊まり込み生活が始まりました。

バケツが風呂の代わりだなんて誰も思わないですから、雑巾をすすいだりするのに使われてしまうためにバケツに名前を書いたのです。

同じ整体院の仲間からは「良くそんなことが出来ますね」と驚かれたり呆れられたり。

それからは、自宅に残した彼女や子どものことが気になりながらも、寝ても覚めても整体院生活。
とは言っても社員でも何でもないので、身分の保証はどこにもありません。
身分の保証どころか、給料も無く、手当ても何もありません。

正直のところ、このまま人生が変な方向へ進んでホームレスになってしまったりするのではないかと不安になったことも幾度もありましたが、朝、昼、晩と人体模型を眺めては練習、練習、練習の繰り返しの中で、決して良い形でも、誉められたことでも無いのですが、守られるものがない不安の中で生まれた強さもありますし、整体という仕事と技術の両方を自分の体や魂に刻み付けるというのが正しいのか、染み込ませるというのが正しいのか、とにかく整体漬けの毎日が続きました。

壁から滲み出て来るものの正体

或る日、「K」院長が私たちを集めて「骨盤矯正」の実技指導をした時の話です。

実技指導と言っても、「K」院長が骨盤矯正を数回実施して見せただけで、細かい手ほどきなどは一切無しのまま、後は「K」院長が整体ベッドに横になって一人一人「試験」するだけです。

スタッフが一人一人、交代で見よう見まねで挑戦するのですが、当然のように全員が不合格。
「K」院長は、指導に飽きてしまったのでしょう「明日、出来るようになるまで家に帰って練習して来い」と言って帰ってしまい、全員解散となりました。

その晩も泊まり込み生活を続けていた私は、誰も居ない夜中の院内で一人、骨盤矯正の練習です。相手が居ないので院内を見渡して、骨盤矯正に使えそうな鼓型の藤の椅子を借用し、「K」院長の姿勢、力の入れ方など、記憶を元にして再現が出来るようになるまで、何度も繰り返し練習しました。

本当ならば、3時間、4時間も練習して…と書いた方が価値が出そうですが、30分も練習をしたでしょうか?
脳裏の「K」院長の姿勢と自分の姿勢が近寄って来て、遂に「ビシッ!」と骨盤矯正が決まった時は、すべての矯正技術のベースが身に着いた感覚が湧いて来ました。

「K」院長の言う、「壁から滲み出てくるもの」の正体を捕まえた感じがしたのも、この時でした。

「壁から滲み出て来るもの」「壁から滲み出てきたもの」について、それ以降「K」院長と話をすることも無く終わってしまいましたが、私が思う正体は「念」だと思うのです。

信念や一念の言葉に使われる「念」ですが、気持ちと言い換えてしまうこともできますが、気持ちよりも重い、何かを突き通していくエネルギーです。

骨盤矯正を会得したことで、見えないエネルギーが私の体の中を駆け巡って、他のあらゆる矯正技術のベースが私の中で完成したように思えるのです。

翌日、結果的に骨盤矯正が出来るようになっていたのは私だけで、骨盤矯正が出来ずにいる全員に出し惜しみすることなく骨盤矯正のコツを伝えたのですが、やはり自分で追及して会得するのと教えてもらうだけで真似るのとでは根本的に差が出るというか、完成形にはなりませんね。

と、同時に他の矯正技術に共通するようなエネルギーは他の人には生まれなかったことからも、壁から滲み出て来るもの、壁から滲み出てきたものは、あの場で寝泊まりした者だけが受け取れるパワーだったのだと思います。

「〇〇の女神が微笑んだ」と表現されるように、もしも整体の神様が存在するとしたならば、武道やスポーツの世界に通じるような、何か超越したところに存在するのではないでしょうか。
私が、審美小顔矯正を始めとする、数々の施術技術を創案し奇跡を起こしたように。

別れの時は突然に

私が副院長になってから半年、「K」院長の片腕として信頼もされ、私も「K」院長にも心から尽くすつもりで毎日を送っていましたけれども、 「機が熟す」という言葉がありますが、修行にも終わりの時期が近づいていました。

副院長というのは名前だけで、給料らしい給料を支給されるわけでもなく、院長が不在の時に来店されたお客様から施術の契約が取れればその一部を受け取るだけで、自分の中で気持ちの区切りがついたというか、線が引かれたように、「K」院長が泊まりで出掛けた夜に整体院に書置きをして自宅に戻ってしまいました。

そのまま、「K」院長も連絡して来ることはなかったため、私は再び自宅で整体院を再開。
以前と違ったのは、再婚した美人の彼女と二人三脚になったことでした。

自宅だけでは十分な収入には結びつかなかったことから、温泉施設やスポーツジムへの営業や出張も行う下積み生活が続く中でも、「K」院長との半年間の関係で身に着いた営業力、高く売れる技術力などは次第に自分のものとして形になって行きました。

私は自宅開業に伴い、ホームページ作成ソフトを使ってホームページを独学で手作りし始めていました。その当時は、まだホームページを持つお店も少なく、制作業者も少ない時代で、私が作ったホームページのデザインや構造は、今からは考えられないくらい稚拙なホームページでした。

それでも、ホームページを見たという問い合わせも少しずつ生まれて、遠くは兵庫県から小顔矯正を受けに来て下さるお客様も現れるなど、基盤が徐々に出来上がって来ていました。

そしてこの頃、私の中でひとつのアイデアが静かに形になろうとしていました。それがやがて、世界でも唯一無二の施術として生まれることになります。

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