気の向くまま・心の赴くまま 施術を離れて珈琲タイム

この「レミスティック・カフェ」は、お気に入りの飲み物を片手に窓の外の景色を眺めているような気分で自由雑記を楽しむために、また楽しんでもらうためにブログの中に小部屋を作りました。

目次

ぼくはぼくであるために あなたはあなたであるために

ぼくが生まれたのは1960年(昭和35年)

物心ついた時には東京タワーは完成していて
東京タワーの中に蝋人形館がオープンして親に連れて行ってもらったっけ。

あの頃は朝のラジオ体操がどこの地域でも当たり前のように開かれていて、
夏休み=ラジオ体操 夏休み=新しい朝が来た(ラジオ体操の歌)
みんなが同じ朝を迎えて、同じ朝を過ごしていた時代

別に個々のプライバシーがどうのなんて感じず、
隣の家のラジオやテレビの声が聴こえて来て、
屋台のおでんにこどもたちが集まって…

どうして便利な世の中になって簡単に遠くの人と繋がれるのに
近くの人との心は通わなくなってしまったのだろう

SNSで発信しなくても不便も不満も無く、
生の情報交換で十分に楽しくて、
高校生なのに30代、40代の人との交流もあって、
年上の人から大事にしてもらったあの時代。

今は、同じように高校生や20代の子たちに話しかけたら、
警察に通報されてしまうかもしれない世の中。

ぼくは想う

生活の中に雑木林や田んぼがなくなり、
生活の中から八百屋さんや魚屋さんがなくなり、
生活の中から生活の匂いが消えてしまってからは、
心にもラップをしてしまったのではないだろうか

外に出れば、田んぼの匂い、カエルの声、蝉の声
八百屋さんからは果物の匂い、
魚屋さんからは魚の匂いに水を流す音、
豆腐屋さんのラッパの音にラーメン屋台のチャルメラの音

昭和の中ごろまでかな
生活も心も裸のままだった気がする。

人の気持ちに土足で入り込む青春時代に青春ドラマ
やれ根性だ、友情だ、愛情だ
やれ汗まみれ、泥まみれ、涙まみれ

髪を伸ばして、下駄を履いて、ボロを着て
カッコつけないことがカッコよく
飾らないことが美学だった

ぼくがぼくであるために あなたがあなたであるために
誰もが等身大で生きていて
いくら稼いでいるかなんて基準じゃなくて
どんな職業かなんて関係も無くて

そんなことじゃない「お前が好きなんだよ」
そんなことじゃない「あなたが好きなのよ」

だから不便でも 素敵なものはたくさんあった

じゃぁ これから どうしたら 幸せになれるの?

そう聞かれたら ぼくならば こう言うな

もっと自然に生きようよ

ぼくたち 不自然になり過ぎて
ぼくたち 不自然にふるまい過ぎていないか?

ひとよりも高いマンションで暮らさなくても
ひとよりも低い場所から「お世話になりますね」
と言える人間に戻ろうよ

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